受動的攻撃というのは
約束の時間にわざと遅刻する
とか
話しかけられても返事をしない
とか
知っているのに知らないふりをする
とか
頼まれたことに不誠実に取り組みわざと悪い結果を出す
とか
一見無害にも見えるのに攻撃されたと感じさせる行動です
自己愛性パーソナリティ障害が行う見えない精神的虐待の戦術の一つです
受動的攻撃を受けた被害者は
自分の認識と加害者の言うことが一致せず不安を感じ認知的不協和に陥る事もあります。
一見強力な攻撃には見えませんが決して穏当な行為ではありません
対処するにはアドラー心理学における課題の分離が有効でしょう
相手の行為がどんなに奇妙であってもそれは自分の課題ではありません
そもそも不安になる必要はありません
アドラー心理学の心理目標の一つに
共同体感覚
というものがあります
アドラーが研究の末導き出した幸せになるために必要な感覚です
共同体感覚は
・自己受容
・他者信頼
・他者貢献
という3つの要素の相互浸透によって構成される感覚
です
自己受容はありのままの自分を受け入れることです
他者信頼は担保なしに他者を信じることです
他者貢献は見返りを期待せずに他者の助けをすることです
一般的に3つの要素が支え合う構造はトラス構造といい極めて頑健な構造です
要素それぞれはとても実践困難でもあり
似て非なるものと間違えやすくもあります
自己受容は自己肯定と間違えやすく
他者信頼は他者信用と間違えやすく
他者貢献は自己犠牲と間違えやすい概念です
課題の分離ではありませんが
紛らわしい概念を確実に分離する必要があります
現状横の関係ではなく縦の関係を受け入れてしまって生きている私たちは
縦の関係の論理を無意識に肯定してしまっています
その無意識に受け入れてしまっている縦の関係の論理で考えてしまいがちで
自己受容は自己肯定にズレ
他者信頼は他者信用にズレ
他者貢献は自己犠牲にズレてしまうのです
共同体感覚は心理目標なので最初から身についているモノではありませんが
着実に課題に取り組んで身に付けば
受動的攻撃は攻撃として機能しなくなることでしょう
自己愛性パーソナリティ障害に対する自己防衛術として使えると考えます
私の二人目の空手の師は
「知ること、分かること、出来ること
は違うことだぞ。」
としょっちゅう仰っていました
アドラー心理学は知るだけでも価値がありますが
それだけでは自己愛性パーソナリティ障害に通用しないことも多いでしょう
アドラー心理学を出来るレベルまで高めたかったら
それには
日々の実践とフィードバックが必要なのではないでしょうか?
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