グルーミングは
手なずける
と訳される行為です
親切を装って
ターゲットの孤独感や不安感や承認欲求
に付け込んで
接近して行きます
優しく悩みの相談に乗ったり
ターゲットが関心を持っているモノに関心を持っているふりをしたり
世間話をしたりして
距離を縮めて行きます
共感し賞賛し承認し
を繰り返し繰り返し行い
親密感を増し
ターゲットが自己愛性パーソナリティ障害に
依存
するように仕向ける戦術です
私の父は子供の頃
隣の新興宗教の支所をやっている家の人から
「チョットうちの軒下にしばらくの間棒きれとか置きたいのだけれど
通路が少し狭くなってお宅に迷惑かけると思うが
良いかな?」
と礼儀正しく話しかけられました
当時祖父は戦争で亡くなっていましたので
子供でも長男だった父が家長でした
父は
「お気遣いなく。」
と返答したそうです
棒きれは日に日に増えていき通路は日に日に狭くなっていきましたが
しばらくの間と言っていたので父はさほど気にしませんでした
狭くなった通路にも慣れてしまった数年後に
隣の家はぎりぎりまで狭くした通路いっぱいに増築したのです
これは境界に侵入されたという事です
アドラーは課題の分離を重視しました
自分で境界を設定して
絶対に相手から自分の課題に介入されてもいけないし
絶対に自分から相手の課題に介入してもいけない
と考えました
巧みにグルーミングされても
相手に境界を越えさせてはならないし
自分から境界を超えてはならないのです
私は2つの空手を習いました
私が習った空手はどちらも武道空手でした
武道とは本質的に自己防衛術です
格闘技のように攻撃が強ければOKではないのです
専門用語で待ち拳と言います
待ち拳で最重要なのは構えです
境界の設定とおなじですね
私の空手の二人目の師は
「知ることと分かることと出来ることは全然違うレベルだぞ。」
とよく仰っていました
「アドラー心理学を知ってるだけでも凄いよ。」
「たいしたもんだよ。」
「十分なレベルなんじゃないかな。」
そんなわけありませんよね。
アドラー心理学を実践出来るレベルになってはじめて
自己愛性パーソナリティ障害に対する自己防衛術として使えるかもしれないと考えます
アドラー心理学を実践出来るレベルになりたい
それには
日々の実践とフィードバックが必須なのではないでしょうか?
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