娘が不登校になって気づかされました
(愛されたい、あいされたい、アイサレタイ。)
なんと私は妻や息子や娘から愛されたいだけの甘々な男だったのです
「愛とは自立支援の技術です。」
アドラーの考える愛=自立支援の技術
を私は何ひとつ持っていませんでした
私は愛を持ちたいと思ったのです
では自立支援の技術とは具体的には何を指しているのでしょうか?
アドラー心理学では
ざっくりと
・課題の分離
・共同体感覚
だと言っているようだ
と当初私は読み取りました
「先ずは課題の分離から取り組むことだ。」
と私たち夫婦は考えたのです
共同体感覚はさっぱりピンと来なかったので
ひとまず棚上げにしたのでした
子供の頃からどっぷり依存共依存体質だった私は
このスタート地点に立つまでに
実に2年近くも時間が掛かりました
最初はアドラーの言っていることが全然理解できなかったのです
自分が信じ込んで来た価値観と全く異なる価値観を理解するのは
とてもとても難しかったのです
不登校の娘のため
それに振り回され疲れ果ててしまっている妻のため
そのせいで自分の存在をないがしろにされているように感じている息子のため
でなければずっと理解出来なかったかも知れません
アドラー心理学では
「支配も服従も望ましくない行動である。」
と考えます
それはそうですね
誰でも服従などストレスですし
支配は一見望ましい状態にも見えますが
支配と服従は表裏一体です
他者を支配してよいと考える者は
他者に支配されても仕方ないと考える者です
つまり支配者の信念は奴隷の信念と本質的には同じです
どおりで歴史上の支配者もその辺の支配者も
支配者を目指して頑張っている者も
あまり幸せそうに見えないわけです
支配とは
相手の課題に土足で踏み込むことであり
服従とは
自分の課題に土足で踏み込ませることです
どちらも課題の分離が出来ておらず
従って
自分の人生を生きれていません
だから幸せになれないのでしょう
課題の分離では
先ずは自分で境界の設定をします
線を引きます
これは頑なでない方が良いでしょう
境界は一気に決定し絶対に動かさないモノというイメージが私にはあったのですが
時間を掛けて試行錯誤しつつ徐々に定まって行くモノなのだと思います
相手の課題には介入しない
自分の課題には介入させない
この2つを意識して境界の設定をします
慣れないうちはつい心配から口を出してしまうものです
つまり自分から境界を冒し相手に介入してしまうものです
それまでそれが正義や愛だと思い込んでいたのですからまあ頻繫にやらかします
そして
子供は育てたように育ちます
介入癖のある親に育てられれば
当然
親の課題に介入してくる子供に育ちます
こうして境界がぐちゃぐちゃになっているのが親子の癒着です
肉体だって筋膜が癒着しているところは本来のパフォーマンスを発揮できません
家族でも同じです
癒着ははがした方が良いのです
慣れ親しんだ癒着をはがすには嫌われる勇気がどうしても必要なのです
私は嫌われる勇気は中々持てませんでした
自分ではない他者の
今ではない未来の
幸せを願う
というのは
抽象度が高くなければ不可能です
そして
抽象度を上げるために必要なのは
他者のためを想う心だったのです
私の場合は
嫌われる勇気を出すのも
一気に出すより徐々に出すイメージの方が出しやすかったですね
そのやり方とはワンクッション入れるというものです
「愛しているよ
でも
やらないよ。」
というものです
次に
横の関係を作るように意識します
縦の関係を作らないように意識します
私たちは子供の頃から
「人間関係とは縦の関係である。」
と
陰に陽に教育されて無意識レベルまで入り込んでしまっていて
家庭でも社会でも普通に実践して来ました
それは教育とは支配者のために行われるものだからだったのでしょう
真の自分たちのための人間関係を
新たに構築した方が良いのではないでしょうか?
それはアドラーの言う横の関係でしょう
つまり
親と子は対等だと意識することです
「友達親子。」などという中傷もありますが
世間と違うことをすれば中傷くらいは覚悟しなければならないでしょう
世間に非難されないことなどを目的にしても
幸せになれない
と言えるでしょう
一見課題の分離と矛盾があるようにも見える共同体感覚
を育むためにも必要な気がします
次に
賞罰をやめることを意識すること
です
ほめることと𠮟ることは表裏一体です
相手の承認欲求を育んでしまい無意識に奴隷根性の持ち主に育ててしまいます
賞罰教育は奴隷調教です
戦後GHQが日本に強要した教育プログラムだそうです
徹底的行動主義心理学という非人道的な心理学から作られました
結果
縦の関係を作ることにもなってしまい
私たちの本能的な幸福感にはそぐわない人間関係になります
ちなみに課題の分離の先にある目的は
ほめたり𠮟ったりの評価を捨て
代わりに
「ありがとう。」
を伝えることです
感謝
が
アドラー心理学の極意だと私は考えます
勇気づけ
なのです
「ありがとう。」
を言われた者は自尊心が育ち勇気づけられると考えられています
なぜなら貢献感を感じるからです
人は周囲の人々へ貢献できていると実感した時に
自分には価値があると実感し
勇気を持てます
そして
「ありがとう。」を言って相手を勇気づけると
自分も相手以上に勇気づけられるのです
人は勇気があれば
困難を克服し
自立や協調といった有益な行動を選択し
共同体感覚に至ると考えます
勇気と共同体感覚は相互依存関係にあると考えられています
これらが課題の分離の概要です
(アドラー心理学の課題の分離は
自己愛性パーソナリティ障害(ナルシスト)の殺人的な攻撃に対する強力な構えになる。)
と私は考えたのです
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