蕎麦は
海外でも広く食べられて来ました
フランスブルターニュ地方のガレット
イタリアヴァルテッリーナ地方のピッツォケリ
ロシアのブリニ
中国雲南省北部のヘイロ
北朝鮮のピョンヤン冷麵
スロベニアのダンプリング
etc
蕎麦は小麦や米が育ちにくい寒くて瘦せた土地でも育つので
重宝されたようですね
信州は
ご存知のように寒い土地ですので
どんな土地でも育つ蕎麦の栽培が昔から盛んだった訳です
蕎麦の実は原産地と見なされている中国雲南省から
日本へ伝わったと言われています
どう伝わったのでしょうか?
・・・
弘法大師空海
が体系立てられた密教である真言密教を
日本に持ち帰りましたが
実はその前から
断片的な密教は日本に伝わっていました。
雑密とも呼ばれる山岳密教の修験道です
奈良時代の役小角が開祖と言われています
そもそも空海は修験道の代表として
修験者たちからの寄付金で遣唐使船に乗り唐に渡ったのです
仏教は
金銀宝石や石薬を大量に必要としたので
中国でも日本でも
かつての仏教修行僧は
鉱山師としての性格がとても強かった
と言われています
良い鉱山を求めて
はるばる国境や海を超えあちこち密入国は当たり前だったようです
そうして高山の多い事から日本の屋根と言われる信州へも
修験者は鉱山探しに来たことでしょう
こうして密教と共に修行僧の携帯食だった蕎麦の実が
信州へ伝わったのかも知れません
・・・
奈良時代に修験道開祖役行者小角が
信州駒ヶ岳で修行した際
一握りの蕎麦の実を
駒ヶ岳の登山口に当たる伊那谷の内の萱の村人に伝えたと言う伝説があります
当時はそばがきが主な食べ方で
そば切りはまだ無かったと言われていますが
現在
伊那谷では
辛味大根のおろし汁に焼き味噌を溶いた辛つゆで食べる古風な蕎麦を
行者蕎麦と呼んでいます
・・・
「振舞ソハキリ金永」
と長野県木曾郡大桑村須原の定勝寺の寄進記録(1574)にあり
これがそば切りの存在が確認できる最古の文献のようです
「そば切りは信濃国の名物。
当国より始まる。」
と「「毛吹草」」(1645)に見られ
「蕎麦切りといっぱ、もと信濃の国本山宿(長野県塩尻市)より出て、
あまねく国々にもてはやされける」
と「「本朝文選」」(1706)にもあります
現在でも塩尻市宗賀本山地区ではそば切り発祥の地として
各家庭で伝えられてきた技術をそれぞれ伝承しています
長野県の戸隠そばは
岩手県のわんこそば
島根県の出雲そば
と共に
日本三大蕎麦の一つとされます
戸隠も古くから山岳信仰の栄えた地で
修験者が多く集まっていたそうです
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